アラサーエンジニア共働き妻の日常

アラサーエンジニア共働き妻の日常

日常のこととか綴っていきます。

どうして未経験からwebデザイナーになったのか?過去話します。

どうも、あもです。
今の会社(IT企業)のインハウスデザイナーとして働きだしてはや6年目になります。
主にサイトデザインやバナー作成、既存UI改善の案出し、フロントエンド実装などを行っています。
最近はcreateJS + html5 canvasインタラクティブなコンテンツを作ったりしてます。これがまた楽しい。

そんな私が、どのようにwebデザイナーになったのか、きっかけから現在までの過去話を語っていこうと思います。

6年前、今の会社に入社する前日に行った岐阜県郡上八幡のさんぷる工房で取った写真を貼っておきます 湯気は書き足しました
6年前、今の会社に入社する前日に行った岐阜県郡上八幡のさんぷる工房で取った写真を貼っておきます 湯気は書き足しました

クソ長自分語りはっじまるよ〜〜!!苦手な方はブラウザバックで(いにしえの腐女子

デザインに触れたきっかけ

高校はデザイン系の学科に通っていました。
高校では主にデッサン、平面構成、デザイン史、色彩など基本的な美術の授業を受けていました。
CGの授業もあり、その時はIllustrator 10の環境で勉強していたと思います。macPower Macのアルミニウム筐体で(何年製か忘れた)、自分らが卒業してすぐに薄型imacにリプレイスしていた記憶…!
CDジャケット作ったり、ポスター作ったり色々していました。
Illustrator/photoshopの授業をしてくれていた先生がなかなかの変わり者で、他の生徒からは馬鹿にされていたりしたのですが、私はその先生が大好きで他の学校へ転勤になったときホロ泣きしちゃいました。。
自分がデザインの方向へ行きたい!と強く思えたのもこの先生のおかげだと思っています。
高校では5科目系の勉強はほとんどせずに、アニメ絵ばかり書いて過ごしてたな…

高卒でデザイン業務のできるフリーペーパー制作会社へ就職

進学はもともとするつもりがありませんでした。
行きたいと思える大学もなく、受験勉強も嫌。とにかく同人や好きなことするためにはお金が必要だ=働くしかないな〜。と思っていたからです。

工業高校なのにも関わらず、就職先でデザインに関係する会社は2社しかありませんでした。(地元の印刷会社と、自分が入社した会社のみ)
ほとんどの子が進学で、他の就職希望の子は携帯ショップの店員だったり、美容室のアシスタントだったりした記憶があります。
就職先への面接に推薦してもらうのも一苦労で、滑り止めとして私立の美術系大学を候補にあげていた気がします。(行かなくてよかった。ほんとに
自分はIllustrator等を使ったデザインの業務がしたかったので、フリーペーパーの制作会社の求人に立候補しました。
運良く2名の学校推薦枠に入れてもらえ、その後の最終面接にも受かり採用してもらいました。

就職先では、PhotoshopIllustratorでひたすら求人広告を作ったり、新聞広告を作ったりと業務に追われる毎日を過ごしていました…。

さばいてもさばいても終わらない業務

フリーペーパーは毎週発行されます。締め切り厳守です。
遅れている人がいれば、その分他の人が案件をこなす必要があります。
その日の残業時間は「今日は8時までやりましょう!」「今日は23時までお願い!」というようにチーフが決め、みんなそれに従ってもくもくと案件をさばいていくシステムでした。連帯責任ですね。
つまり、どれだけ数をこなしても他の人の進みが遅ければ残業をしてフォローしないといけません。

さらに、今週分の案件が終わっても来週分の案件が山積みになっています。
これが毎週のように繰り返されるのです。
どれだけ個人が早く制作を終わらせても、次の案件が入ってくる。
終わりもなく業務が繰り返される毎日に、あもの心はどんどん闇落ちしていきます。

「あもさんは仕事早くて助かるわぁ〜!」なんて言われましたが、じゃあ早く帰らせてよ!!!!!!ヽ(`Д´)ノウワーンという気持ちにしかなりません。
まじで地獄でした。
自分の仕事をさっさと終わらせ、形だけ仕事をしながら頭の中では同人のことばかり考えて気を紛らわせていました。
(連帯責任制度のだめなところですね。生産性下がるしやめたほうがいいぞまじで)
案件の進みは人それぞれなのは理解しており、チームメンバー個人へのヘイトはそこまで感じていませんでした。
私の精神を蝕んだ原因は、残業強制システムに他なりません。
頑張れば頑張るほど損をするように感じる、というのはチーム運用として悪です。

当時好きだったイ●ズマイ●ブンをリアタイで見れないことに悲しみ、親が作ってくれたご飯を食べながら嗚咽し号泣したことも。
これで実家ぐらしでなかったらどうなっていたんだろうか。人の形を保っていられた気がしません。
一人暮らししながら働いている人はまじですごいと思います。

一番つらいのは、なんで仕事なんかに自分の時間を奪われなきゃならないんだ????と感じてしまうこと。
好きなことをするために働きはじめたはず。
残業しなければ、家に帰っていっぱい絵がかけるしゲームもできるし、原稿(※同人誌)だって進めれるじゃん!!!
そう考えているとまじで仕事が嫌になってました。
それでも残業後に原稿を描き、東京の同人イベントに飛び回っていたのだから当時の自分はイカれてました。
仕事のストレスを、ライフポイントを削って同人することで発散していたんだと思います。(唐突な遊●王)

成長が止まっていることに気がついた

最初は紙媒体での業務もわからないことだらけで、会社で様々なことを学べました。
ですが、1年もたたないうちに仕事をこなす上で必要な技術は身につき、上で書いたように同じような業務を繰り返していたので自己成長など感じられなくなってきます。

このままずっと同じ仕事をするんだろうか…。

そう思うと、デザイナーとして働いていくなら今は紙媒体だけじゃだめだ。幅広くできるようにならないと!という気持ちになっていました。

ニート生活で輝きを取り戻す

石の上にも三年、とりあえず就職したら3年は頑張ろうZE☆という風潮に引き止められながら、仕事をこなす日々。
やっと3年が立つというところで精神は限界に達していました。
もう、頭の中では辞めることしか考えられません。もうゴールしてもいいよね・・・?
思い切って退職しますとチーフに伝え、退職日はちょうど入社から3年の4月でした。
転職先も決めず、とりあえず貯金はあるし、失業手当もらってニートをすることに決めました。
(とはいえ同人活動で散財していたので貯金は100万くらいしかありませんでした。実家暮らしだからできたことです)

1年におよぶニート生活は、実に素晴らしいものでした・・・。
毎日お絵かき、ゲーム。いつ起きても、朝まで夜ふかししても良い。
同人活動に没頭できる。学生時代でも体験できなかった、「まさに自由」を味わって過ごしていました。

勉強する時間もたくさんあったので、HTMLの教本を買ってサイトを作ってみたり、WordPressで同人用の個人サイトを作ってみたり…。
色々と楽しみながらWEBの知識をゆる〜く身につけていきました。
ランサーズでバナーやチラシのコンペに参加したこともあります。ひとつも採用されませんでした

まる1年経つとニート生活にも限界がやってきます。
生きていれば国保、住民税、車検/自動車税の支払いは等しく襲ってくるのです。
好き勝手すればするほど貯金はどんどんなくなっていきました。
働くこと自体にはまったく抵抗はないので、「そろそろ仕事すっか!お金なくなってきたし!」と思ってから仕事が決まるまでは早かったです。


同人活動で得た拙いWEBサイト知識が生きた

もともと次に働くならWEBデザイナーとして…!と思い勉強をしていたので、仕事探しもWEBデザイナーに絞って探していました。
ニート上がりのWEB未経験。今思えばこんなやつ雇ってくれる会社、今あるんだろうか・・?と思います。
地方のIT企業(現職場)にアシスタントデザイナーのアルバイト求人があり、思い切って応募。
WEBだけでなく、チラシや雑誌広告の案件もあったようで、過去の仕事のポートフォリオを見て採用してもらえました。
当時は時給900円からのスタートだったと思います。高校時代の時給750円の本屋バイトと比べたら全然いい時給です

面接では、趣味でサイトを作成していたことや、プチオンリーを開催したこともあったので企画・段取りなどのコミュニケーション能力をアピっていきました。
同人活動が求職に生きた瞬間です。ありがとう推しCP。

入社してからは怒涛の毎日。仕事大好き人間に

新しい職場ではweb広告バナーやランディングページの案件を任され、リーダーにwebデザインの基礎からミッチリ叩き込まれました。
自分はこんなにも浅はかでレベルが低かったのか、痛感した時期でした。

ロジカルにデザインすること。
ユーザーの視線を持つこと。
クリエイティブについて言語化し意図の説明ができること。

今の業務にも通ずる業務で重要なことをたくさん教えてもらいました。

入社半年はもうとにかくチームメンバーに追いつくのに必死。
仕事が楽しくて仕方がなく、裁量もあるので残業が苦にならない。
趣味の同人活動も忘れてひたすら仕事に励んでいました。

半年後、サービスの窓口デザイナーを引き継ぎ、広告のPDCAサイクルを回す業務を任されるようになり、正社員登用もこのタイミングでしてもらいました。
当時の上司やチームメンバーがあってこそ今の自分がいると本当に思います。

今は別の部署に異動し、業務内容の幅も広がりました。
6年たった今でも勉強の日々です。前の会社にいた自分は視野が狭い甘ちゃんだったなーと恥ずかしくなります。。

学びたい事が次から次へと出てくるので、飽きることがありません。ずっと未熟者な感覚です。それはそれで、キツイものがありますが…

尊敬できる先輩や同僚がいることはとても重要です。
そして裁量を与えてくれる環境、それをきちんと評価してくれること。
自分は成果主義的な社風に合っていたのかなと思います。
前社のように連帯責任で無意味に残業させるなんてダメ!です。とはいえ、今はチームワークも重要で、前の職場は個人主義的な運用になりすぎていたのかなと振り返れば思います。

これからも頑張るぞ

一歩踏み出してこの業界に入って良かったと思います。
生涯現役でいられるかは職種的に不安が残りますが。。行けるところまで、喰らい付いていこうと思います。

技術的なところもメモっていきたいので、同業の方はよろしくです٩( 'ω' )و